いちばん望んでいた形になっている気がしています(卒業生マヨさんインタビュー)

ヨガ ヒーラー アカデミー ハワイのRYT200プログラムに参加されご活躍されているヨガティーチャーに、現在の活動内容などをお聞きするインタビューシリーズ。

今回は2013年4月に当アカデミーのRYT200プログラムに参加されたマヨさんへのインタビューです。「準ミス日本」の経歴を持ち、2017年9月にはツーリズムEXPOジャパン(東京ビッグサイト)でのイベントにも出演したマヨさんから、とても有益なお話が聞けました。ぜひあなたの今後の活動の参考になる点を考えながら読んでいただければ幸いです。

Q.ヨガに出会ったきっかけを教えてください

私は20代のときに父親を病気で亡くして、その後は人としてもっと成長したいという思いから、自分に鞭打って懸命に働きました。当時はホテルに勤めていて、とっても不規則な生活。完全に運動不足になっていました。このままでは体力が持たないし、ミスコンテストから鍛えてきた体を太らせたくないという思いから、いい運動になるものをリサーチしました。そのときに「ヨガ」という言葉に出会い、たまたま見つけたのがハワイのヨガのDVDでした。ダイビングと南国が好きな私にとっては、すっごく運命的なアイテムで、好きなモデルさんも出ていたのでお気に入りのDVDになりました。

そのDVDを見つけてからは、時間のあるときに自宅で見様見真似で取り組む日々。ですが、やはり寝る間もないほどのハードワークで、結局体を壊してしまいました。ある日、電車での帰宅途中に突然目が回って動けなくなってしまい、入院しました。「反復性内耳性めまい症」でした。病状は思ったよりも重く、退院後も自宅療養が1年半続きました。めまいの影響で食欲もなくなり健康的ではない痩せ方をして肌もボロボロ。私がミスコンテストからずっと追求していたテーマが「美容」と「健康」なのですが、その両方を失ってしまいました。なんとか希望だけは持ち続けたい、そんなとき思い出したのがあのDVDでした。

ハワイの美しいビーチ

海が好き。健康に戻ったらまたいろいろやりたい。そう思った私は、症状が少しおさまったときを見つけては、ベッドの上でもできるポーズをやってみたり、呼吸を整えてみたりしました。少しでも体を動かしている安心感があり、なんとなく自分を見つめる時間にもなっていましたね。これが私にとってヨガとの関わりの原点です。きちんと習ったことはなかったので、見様見真似というレベルでやっていましたが、それでも心が前向きになったり、体が活性化されるのがわかりました。

DVDから流れるハワイの風景とそこでヨガをしているモデルさんを見ながら「このヨガをしていれば体がもとに戻るんじゃないか」という根拠のない希望さえ湧いてきました。もちろん少しずつ少しずつ取り組んだので、何かが劇的に変わったということはありませんでしたが、自宅療養を終え新しい仕事につくことになったときも、ヨガによって心と体が整えられていたので、新たなスタートをちゃんと切ることができました。でもまさか、自分が選んだDVDと同じハワイでヨガを学ぶことになるなんて、そのときは思ってもみませんでしたね。

Q.ヨガティーチャーになろうと思ったきっかけを教えてください

それには劇的なタイミングがありました。社会復帰したあと、美容と健康に対する意識を取り戻すために、ヨガとともにベリーダンスも習いはじめました。そこでまいちゃん(ヨガヒラ2011年9月卒業のMaikoさん)と出会いました。一緒に発表会に出たりもしました。まいちゃんはレッスンで会うお友達でしたが、彼女がダンススクールを辞めてしばらくたったとき、ヨガの先生になるといってハワイに留学したんです。

お友達の新たな生活を応援する気持ちで、ヨガ留学中のまいちゃんのブログをずっと読んでいました。何気なく読みはじめたはずなのに、そこには私の心を癒してくれるような写真や、ヨガのことがたくさん書かれていて「あ、私が探していたものはこれだ。私、ヨガを勉強したい。ヨガを一生の仕事にしたい」と思うようになりました。

そこで帰国したまいちゃんをカフェに呼び出して、ハワイでの3週間がどうだったか、いろいろと教えてもらいました。このときに「私も絶対ここ(ヨガヒラ)に行く」とはっきり心が決まりました。ヨガの先生になれたらいいなって思ったのもありますが、なによりも「ヨガヒラに行きたい」と思ったのが先でした。それからまいちゃんとはヨガヒラを通して一気にオハナ、つまり家族のようになりました。

Q.ハワイからの帰国後の活動を教えてください

すぐにヨガレッスンをしました。まいちゃんから、自信があろうがなかろうが帰国後すぐにレッスンをした方がいいとアドバイスをもらっていたので。まずは体験レッスンでしたが、すぐにはじめるということの意味がとてもよくわかりました。自信がついてから…なんて思っていたらきっとどんどん尻込みしていたかもしれません。まさに最初の一歩を踏み出すことが大切でした。さらにいま思えば少し無謀ですが、東京の自由が丘にスタジオを借りてヨガレッスン開催の準備をはじめました。そこを選んだのはハワイのロミロミサロンであり、フラダンススタジオも併設されていたまさにハワイな場所だったからでした。私はどうしてもハワイの感じを大切にしたかったのです。

実際にレッスンをスタートして生徒さんは少しずつ来てくれましたが、どこかずっと不安がありました。レッスンをしながらも、これでいいのかな?という気持ちと集客もしたことがなかったので、なんだか本当に体当たりで取り組んでいました。一年程続けた後、このままモヤモヤしながら続けるのも良くないなと思い、一旦クローズして自分を整えようと思いました。そして改めてきちんと日本のヨガの状況を知り、いまの不安を軽くすることと、自分自身のスキルアップのためにも、一度ヨガスタジオで働いてみようと思ったんです。

もともと生徒として通っていたスタジオで、そのオーナーにお会いしたとき「これからもし求人があれば受け付けでもなんでもやらせてください」と自分の思いを伝えてみました。そのことがきっかけで、最初は受け付けの仕事で入りましたが、後にレッスンも担当させてもらえることになりました。そしてスタジオレッスンに入ったとき、いまも忘れもしません、人生ではじめて脚が震えたんです。なぜならいろんな意味で自信を失いかけていたから。もちろん準備もしていたし練習もしていたのに、頭をよぎるのはヨガティーチャーとして生徒さんの前に立つことへの不安でした。だって、よくよく知るとすごい先生がたくさんいますもんね。

だけど、そこは持ち前の当たって砕けろ精神で、その不安も体当たりで乗り越えようと心に決め、毎回一生懸命レッスンや自分と向き合いました。そうして回数を重ねるうちに不安や緊張もなくなりました。毎回来てくれるお客様とコミュニケーションをとったり、先輩方やオーナーに見守られながら経験を積めたことにはとても感謝しています。やっぱり自分を成長させてくれたのもこのときがあったからでした。

Q.いまの活動を教えてください

現在は、縁あって別のヨガスタジオでレッスンを担当させていただいて、約2年が経ちます。会社員として他の仕事をしながらの二足のわらじでヨガティーチャーを続けています。いまでこそ、これで良かったと思えていますが、以前の私はヨガの仕事だけで一本立ちするのが目標で、それ以外の、たとえば他に仕事を持っている自分は「ダメだなぁ、まだまだだ」とずっと思っていました。

でも、私なりにいろんな時間を過ごしてきたことで、いまはそれをダメだとは思わなくなりました。だっていろんな人にそれぞれの人生があって、向き不向きもあって、ヨガの仕事だけで生活できるのはひとつの理想だけれど、私にとって大切なのは「プラーナチャクラヨガの心地よさをいろんな人にシェアし続けること」。そのことで一人でも多くの人の心と体の健康に携われることが私の喜びだからです。そう思うと、いま目の前にあることを理由に、ヨガを伝えることを諦めてしまうのはもったいない。他に仕事を持ちながらも、大切なヨガを「伝え続けられる」ようにすることも大事だなと気づいたんです。そして成功の形はひとつじゃないという考えを持つことができました。

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